昭和52年02月01日 月次祭



 忙しかった一月も、有難い有難いで終わらせて頂き、いよいよ二月を迎えさせて頂きました。又この二月もいよいよ有難い二月でありますように、心掛けさせてもろうて、有難しの修練、稽古をさせて頂きたいと思います。今日吉井の熊谷さんが一家してお参りになりますがお届けの中に、先日からある難儀な問題をかかえた、前に知っておった方で、ある教会で信心の稽古をなさっておったが、最近は信心を止めておられる。
 それで、熊谷さんが熱心に合楽にお参りになって、おかげを受けておられるという話を聞いて、訪ねて見えられて、何回目かに会われた。まあとにかくこのご本を読んで下さいと言うて、おかげの泉を五、六冊、差し上げられた。それから昨日その方から電話がかかってきた。何回もお礼に出ましたけれども、何時も表が閉まっている。お一人で暮らしておられます。それでもう何時もこう、合楽に参っておられますから、お参りされた後か何かだったんでしょう。
 留守であったから、まあ電話でお礼を申させてもらいますと言うて、本当に永年昔は信心させて頂きよったけれども、合楽の親先生がお話しになっておられるお話だと言う、あのおかげの泉を読ませて頂いて、こんな話を今までかって聞いたことがなかった。どのページをめくらせて頂いても、有難いことばっかりであると同時に、有難くならせて頂く道付けがしてあるのに、日々恐れ入っとりますと言う事であった。
 不平不足の道は、教えてもらわんでも、結構不平不足を言うておるのですけれども、有難くならせて頂く道を、この様に解明にしかも先生のご体験を通されて、同時に神様からお知らせを受けられてこういうお話が、皆さん日々頂いておられる。本当におかげを頂いて、是非貴方の都合の良か時に合楽に連れて参って下さいという電話が架かってきた。私はそれ聞かせて頂いて、本当にそうだなあ不平不足は、教えてもらわんでも不平不足の、まあ道があるわけでもないでしょうけれども、自分で道を作っている。
 そしてそれは、人間が不幸せになる道なのであります、不平不足というのはね。信心とは、なるほどこの様に有難くならせて頂けれる道をです。しかもこの様に解明にしかも、誰でもが行えれる生き方を示して下さって、有難くならせて頂くと言う事は、もうなんと有難いことであろうかと言うのでございますけれども、どうでしょうか皆さん、その有難くならせて頂く道を皆さん。行じておられるだろうかと言う事でございます。有難いにも、色々でございます。
 そこでやはり有難いにも、やはり力が伴うて来なければなりません。真に有難しと思う心はもう、すぐにみかげの初めだと言われております。真に有難いというのは、生き生きとした有難さと言う事だろうと思います。日に日にさらだといわれる。日に日にさらの有難さ。今日これもやっぱり、吉井の熊谷さんところのご近所におられます、杉さん。それこそ浮羽郡の財閥といわれる、大変な物持ちの奥さんです。
 今朝からお参りになって、今晩もまたお参りになっておられますが、今日お参りになって、こういうお届けをなされました。先日から先日じゃない、昨日でしょうテレビを見せて頂いておりましたら、北海道は寒いところですが、今年はもう例外の厳しい寒さだという事です。氷点下何十度という、もう本当に想像も私共はつかんような、ま寒さの中にちょうど、テレビの係りの方があちらに行って、現地で何かその録音しておられるというか、まあ、何か探訪しておられる模様が出ておったそうです。
 もうそれこそ大変なまあ雪の中で、そういうそのテレビに映し出される様子を見せていただいておってから、ふと思わせていただかれたのが、もう二十数年前の事でありました。もうテレビを見せて頂きよって、有難うならせてもろうて、もう本当にもし私に、合楽がなかったなら、親先生がおられなかったら、今日の杉今日の私はなかったろうと言うて、ま感動したと言うのです。というのはもう二十五、六年も前の話なんです。杉家のご長男であります、杉寛三さん。ここの一番初めの総代をなさった方です。
 此の方が色んな事情で、北海道に行かれることになった、家族を挙げて。県庁での色んな手続きも終わられた。それを聞かれた、その今の奥さんのお母さんが、熱心にここにお参りを、当時の椛目にお参りになっておられました。それでほんなら娘達が、家族を挙げて北海道のほうへ移るというもんですから、まあそんな遠方のところへ行かんでもと言うので、止めたいけれども仕方がない。言う事を聞くような人達じゃない。
 もう固い決心の上でもう、しかも県庁で幾らも希望者があった中に、もうその何か抽選かなんかで、それも当たって、まあ言われての北海道行きでした。それでお母さんがお願いに見えられて、何とか先生あの人達が北海道行きを止めさせて貰う手立てはございませんでしょうかと言うて、お願いに見えられた。それで私はその事をお願いさせて頂いておりましたら、その私はまあだ杉寛三さんというのを知らんのですけれども。
 その足に小さい金の鎖で、こう柱にこう結わえ付けるところを頂いたんです。いうならば、神様が足止めをして下さるという。こらおかげ頂きますばいと言うとりましたら、色々な事情で、その県庁のほうの許可まで受けておられたのだけれども、行けぬようになったのか、こちらに事情が出来たのかは、ちょっと私、忘れましたけれども、とにかく行かれなくなったと言うので、初めて杉寛三さんが、お母さんに伴われてお礼参拝をされたのが、杉さんのお宅の信心の始まりでありました。
 その後に何年かしてちょうど行かれる、そこんところが、あの大地震がありましてね。もう本当に、あの時も、それを言っておられました。もしあん時行っとったら、どういう事になっとっただろうか。ちょうどそのおいでられるところであった。昨日もテレビで見せて頂いておられた丁度その北海道に、私共が何十年前にやらせて頂こうと言う所の、ま、変な雪の様子をね、そのテレビで見られてから、もう本当にもし私に合楽が無かったなら、今日の私は無かっただろうと思うと言うて。
 大変まあ感動的なお礼の参拝が、今日午前中にございました。教祖様が信心はね。おかげを頂いた元を忘れなければ結構であると教えておられます。一番初めにお参りをさして頂いて感動をした、おかげを頂いた。初めて知った神様の、いうならば御教えなどに触れた時に感動する。こんな有難い神様がおられたのかと、初めて知った時の感動がです。一生忘れられなかったら結構であると言うのです。
 まさしく私は、今日は杉さんは、その何十年前の事を思い起こされて、もしあのときに親先生の祈りが無かったならば、私共は北海道に渡っておったであろう。同時に今頃はどうなっておったか、いや私はおそらく無かっただろうと思いますというお届けでございました。そういういうならば感動の生活。しかもそれがそれを忘れんようにと言うて、この喜びとか、感動とかといったものは、段々薄らいでくるものですけれども、それを日に日に稽古をして行くと言う事なんですよ信心とは。
 信心とはね。有り難うなっていく、有り難うならせて頂く稽古であり、またその稽古は一年一年、それは修行が積んでいくにしたがって有り難うなって来る。所が中々有り難うなって行く信心をする人が少ない。教祖様はまたは教祖様の御教えを頂いて、合楽ではその有り難くなっていく所の道付けを、それこそ不平不足は教えられなくても、皆んなが分かるけれども、有り難くならせて頂く道は、やはり習わなければ分からない。
 その習わなければならない、有難くならせて頂く道を、私共は日々頂いておるのでございます。それを行じていくところから有難うなって来る。有難くなってくると言う事はもう、本当にもう限りが無い。いわゆる同じ有難いのでも、有難いの度合いが違う。このくらい有難いと思う人、このくらい有難いと思う人。もうこんなにして、こうしようごと有難い人もある。言うならばその、有難いに力が付いてくる。
 その力がです、私はおかげを頂くおかげの元になるのだと思います。信心はもうどこまでも、有難くならせて頂く稽古。そこでね有難くならせて頂くにも、それぞれのやはり、そういう目当てというものが無からなければなりません。寒修行がもう後六日までですから、五日間ですか残っております。始まるや否やもう本当にこのお広前が割れるような勢いで、もう朝の私の四時の御祈念の時にはもう、大概もう見えておられます。
 若先生の御祈念が時にはもう、ここ一杯の方達が、一生懸命大祓い信行に伴う御祈念がございます。その後に、御理解を頂いて帰る。日頃は信心が出来ないけれども、せめて修行中だけはというように、もうそれこそ遠方からね、飯塚とか直方辺りからも、もうタクシーで見える。八千円もかかるそうです。それでもまあ一月間の寒修行の間、日頃は出来んから、せめて修行中なりともと言うわけでありますが、もうそれぞれに有難い体験を頂いておられます。
 言うなら有難い実のある有難さが頂けておられます。その実のある有難さが力になっていくのです。しかも今度の寒修行は。こちらが教会として開かれましてから、丸十年に今年が当たるのです。それでその十年祭を目指しての寒修行と、あそこにその書き出してありますように、十年祭を目指しての寒修行。十年祭を目指しての信心であり、修行であるという風に、皆さんがまあ頂いておられます。
昨日の研修の後でしたけれど、教会の記念祭というのは、これはどう言う事かというと、ギリギリ答えを出すならば、信者が力を頂くために、記念祭であるとだねと言うて話したことでした。合楽に御神縁を頂いておる信者、信奉者の方達がね一段と力を頂く事のために、記念祭というのはあるのだねというのが、昨日の研修の答えでした。思うて見れば、思うて見るほど、確かにその通りなんです。
 誰でも自分の事と下り坂は、いわゆる走らんものは無いと言われるくらいに、もう自分のことなら、走りはためきしてからでも致しますけれども、これが他人事になると、なかなかそんなわけには参りません。けれども段々信心をさせて頂いておりますと、自分も助かり、自分の助かりの喜びが、人にも伝えずにはおれなくなってくる。教会の繁栄は、私共の繁栄だと言う事も分かってくる。そこで教会に何か行事があると言う様な時には、まあとにかくその事に打ち込ませて頂く。
 言うなら段々合楽の信者であります、信奉者でありますという自覚が、銘々に出来てくるわけです。私はこの自覚の問題をね、思うて見る時に、確かにそうです。ただ時々おかげを頂かんならん、お伺いをせんならん時だけ参っておるというのではなくて、ほんなら、毎日参っておるから、自覚があるというのではありませんけれども、私は合楽の信者ですという自覚が出来てまいりますとです。
 そこに何がなしの責任を感ずるようになります。いうならばあの人は、合楽の信者だと、人からも言われるような事になってくるとです。その手前にでも言うなら、おかしなことも出来ません。言う事もいけません。やはり信者の自覚が出来てくると、そこに毅然とした信者の姿勢、態度というものも備わってくると同時に。教会の例えば行事にも、それだけの自覚を持って、参加しなければおられないようなものが、生まれてくるのだ。だから先ずは銘々がです。
 合楽の信者という自覚を先ず作らなければいけない。そしてほんに今年はおかげを頂いて、もう十年にもなる。教会を開かれて十年になる。その十年の記念祭を、いかに盛大に賑やかに、しかも厳かに神様に喜んで頂くようなお祭りを奉仕させて頂こうかという、銘々の力が結集されて、言うなら爆発的な記念祭と言うことになる。そしてその記念祭を頂き終わった後で分からせて頂くことは、真心一杯一心の真を現して記念祭に打ち込んだ人達が、確かに力を受けておるという事実でございます。
 昨日の、朝の御理解の中にも、まあ申しました事ですけれどもね。信心もやはり。育たなければなりません。いつまでも同じであってはなりません。いつまで経ったって、天津祝詞一つ上がらんようなことではいけません。天津祝詞も覚えた、大祓いも覚えた、祈願詞も覚えた。形の上においても、おかげでいうならば、本当にこのなんですよね、大祓いなんかでも一遍覚えて、大祓い信行でもさせて頂くと、もうそれこそ毎日毎日が、有り難うして応えん。
 ご神前で静かに大祓いでもあげさせてもらいよるともう、段々有難いどこか、深い有難いところに、引き込まれるように有難うなって来る。こうなったら信心も止められない。そこまではね、お互い折角頂く信心ですから、有難い信心をそういう、いうならば精進もさせてもろうて、有難くならせて頂かねばならん、育っていかなければならない。と同時にまた。お育てを頂くための修行もさせてもらわなければなりません。お互い淋しい時がある、腹が立つ時がある。
 そういう例えば淋しいとか、自分にそんなはずは無い、もう周囲を見てみると有難いずくめの中におりながら、何とはなしにいらいらしたり。有難くなかったり淋しかったりする時があります。もう本当に私は思うのです。昨日その勿体ないと言う事についてね、勿体ないという心は本当に、人間をいやが上に、謙虚にしますね。その謙虚な信心の姿が素晴らしいのです。それにはやは私自身を、いよいよ知ることです。私自身をいよいよ掘り下げることです。
 掘り下げて行けば行くほどにです、それこそ夏は氷のような水が湧いてくる。冬はお湯のようなお湯が湧いてくるようにです。掘り下げれば、掘り下げるほど、素晴らしいものに当たります。それは自分自身が分かってくると言う事なんです。そこで自分自身が分かってくると、自分の周辺の全てが勿体ないものになってまいります。もう息子が言う事を聞かん、家内が気の利かんとこう思うとったのがね、もう自分にはもう勿体ない息子であり、自分には勿体ない子供であることが分かってくるのです。
 例えばとても、こういう様なものを着せて頂いて、もう自分には勿体ない。いよいよ掘り下げてまいりますと、自分が嫌になるほど、自分というものが汚いものに見えて来るようになります。けれどもそういう自分でもであるのにも関わらず、神様はこの様なおかげを下さってあるという、自分の周辺を見る時に、みんなが有難い対象にならいものはない、勿体ないと思わざるを得ない中に、私共はあるのいです。
 だから有難うなって行くと言う事は、先ず勿体なくなるという、勿体ないという心が頂けれるために、いよいよ本気で私共を分からせてもらい、掘り下げさしてもらわなければいけません。それこそ不平不足が出る時には、自分の掘り下げようが足らん時だと思うて、淋しい時にはねいよいよ。信心のお育てを頂いておる時と思うて、心を日頃頂いておる御教えのところへ持っていかなければならないと思う。信心が段々まあお育てを頂いてまいりますと。自分が掘り下げて行く事によって分かってくる。
 自分が色々なことを覚えさせて貰うて、いうならば大祓い一つでも覚えさせて貰うて、毎日大祓い信行が出来る、御祈念が出来ると言う所から、いわば今までかって味わうた事のない信心の有難さというものに触れることが出来る、と言う様に段々育っていく。私は、昨、皆さんに聞いて頂いたんですけれども、御用ほど信心を育てるものはない。勿論真心からの御用なんです。さあ記念祭が仕えられます。
 昨日一昨日でしたか、その委員の方達の会合がありました。今日若先生から色々とその計画について、協議されたことを聞かせてもらいましたが、もうそれこそ大きな願いに立って、その記念祭を迎えようという、色んな諸準備の事が、錬られております。なんと言うても、先立つものはお金である。去年五年祭の時には、あ五千万余りの借金を作りましたですね。あの会館が出来ましたから。五年計画で来らせて頂いたおかげで、まあ二年余りで払う事が出来ました。
 今度も今度はもっと膨大な、大きな計画の下に記念祭が仕えられますでしょう。それで私があの申しておりますことは。五年祭の時には、借金を負うて記念祭をさせて頂いたが、十年祭はもう借金は負わんでも済むくらいな、ほんなら記念祭を性分にして行こうというのじゃなくてね、計画が出来ておる、大きなその願いに立って、それでも借金を負わんで済むくらいな、おかげとゴヒレイを頂いておかげを頂きたい。
 そこで皆さんがです、ほんなら今度の記念祭には、こういう願いを立てて、こういう願いをもって信心の修行にさせて頂こうと言う様な事になってくる時にです、修行が生き生きとしてくる、そしてその暁に育てられておる自分が分かります。ここの開教式、同時にこの御造営が出来ました。当時の合楽の信者が打って一丸となって。半年で出来るはずのが二年間かかりました。おかげで材料も立派なものが使われることにもなるし、また金融のほうも、その間に万事にお繰り合わせを頂いた。
 その時に本気で真心を持って御用に当たった人達は、みんなおかげを頂いております。如何にその、いわば信心が育てられるかと言う事が分かります。例えば一例をもう本人がいつもお話をするから、まあ申しますなら。秋永文雄先生なんかはそうでした。まあだあの当時、本当に商売を始めたばっかりで、とてもあの時分に百万円という金は、文雄先生にとってはそれこそ大金であった。神様にお願いをして五カ年計画でどうでも。御造営に対する百万円のお供えをさせて頂きたいというて願いを立てた。
 しかし神様はもう、この御造営が終わると同時に、それだけのお供えが出来るほどしの、おかげを頂いたんですからね。そらもちろん一生懸命にならなければ、出来ることではありませんでしたでしょう。けれど、先生が言っておりますように、以来百万円という金だけには、不自由致しません、と言うておるでしょうが。如何にその真心からの、御用というものが、その人に力を与えるか。信心いわば育てることになるのか、と言う事が分かりますね。
 皆さんどうでも一つ、御用はね信心を育てさせて頂く、もうこよないいうならば材料です。そういう御用というものは、何時もかつもあるものではありません。例えば記念祭に致しましても、五年に一回と言うのですから。五年に一回の御大祭を、私はね五年祭を目指して十人なら十人の示現活動をさせてもらおう。私は十万円、私は百万円、私は千万円というのも今年はあります。お願いがしてあります。それがね例えば成就するとかしないとかは別として、そういう願いを立てると言う事が素晴らしいのです。
 私は今日、今日から学院生が三人、また新しく入っております修行に。そのなかの折尾教会の若先生というのが、今日からおかげを頂いております。レポートがここの教会長宛に、三人ながら出しております。それを今日読ませて頂いて涙が流れた。というのはまあだ高校を出たばっかりに学院に行った。それはお父さんが亡くなられた。お母さんが一人ぼちぼちとして、その教会を守っておられるのが、もう見ておられない。
 僕が早く一人前になって、お母さんの手伝いをさせて貰わねばならんと言うので、学院に行って、そして合楽教会の信心を頂きたいというて、今日から入ってきた。そのレポートの中にです。私は亡くなった父の御霊とお話がさせて頂きたいち言う。私はもうそれを頂いてからもう胸が一杯になりました。信心とはそうです。神様が世界中の氏子に話がしてみたいと仰るけれども、聞く耳を持たぬからせぬにおよばぬと仰る。
 神様とはいかんでも、せめて亡くなられたお父さんと、お話合いが出来るくらいなお徳を頂きたい。合楽の先生はそういう意味合いで、おかげを頂いておられるげなけん、まあ自分も合楽で信心の稽古をさせて貰うて、親の御霊とお話が出来れるような、それは出来るか出来んか分からん。十五日ぐらいの修行で出来ると思われないけれども、その心が健気でしょうがその健気な心に、神様が神をましまさないはずはないです。
 なにもあなたに百万円今度の十年祭にお供えさせて頂くというても、とても私やあてはしません。皆さんがどれだけお供えしようと言うても。当てにすると向こうから外るる。けれども、銘々がです、銘々のところへ、せめてというそういう願いを立てて、おかげを頂く。その心が健気です。その健気な心が神様に通うのです。そしてそれが成就するとするならば、それはもう貴方のものであると言う事であります。百万円のお供えをさせて頂いたが、以来というものは、百万円に苦労はしない。
 百万円の力が付いたと言う事になるのです。お育てを頂くと言う事は、そう言う事だと思います。もちろんそれには有難いという。有難いというその有難いというその実力がです。お育てを頂くと言う事とあいまって行かなければならんと言う事でございます。残された、あと五日間の寒修行。まだ、寒修行に出ておられない方は、それこそタクシーででも良いじゃない、一遍ぐらいあの寒修行の模様の中に、自分も浸らして貰うて。合楽と共に、その足並みを揃えていかなければ出来ません。
 打って一丸となっての、いうならば開教十年記念祭に。お互いの心を合わせて信心を進めてまいりましたら。教会自体の力と同時に、皆さんがあの記念祭を境に、こう言う力を頂いたと言う様な、記念のお年柄になるようなおかげを頂いて頂きたいと思います。まさしく記念祭とは、信者が力を頂くためにあるものだと、昨日私共が研修の結論に出しましたように、私共が力を頂くための、一つ記念祭にさせて頂きたいと思います。
   どうぞ。